2020年8月23日(日) ピアノと歌

最近の愛聴盤は、「River 」というアルバムで、Herbie Hancockのリーダー作品です。

このアルバムは全然知らなかったのだけれどどうやら Joni Michel 曲集なのらしい。何人かの歌手と朗読も参加している。歌手は星の数ほど居るのに私の好きな歌手が二人も入っていて、それだけでも興味をひかれる。聴いていると知らずとまた聴きたくなって、最近ではすっかりどうもこれは、愛聴盤になってしまっているみたい。

さきのブログで、弾き語りについてちょっと書いたけど、それとは別にピアノと歌の関係について思うことあって…。そうだよね、当然そうなるよね、こんな風にあってほしいよねと感じるそんなアルバムなのだった。伴奏じゃ全然なくて。ピアノと歌だと関係がわかりやすく出てしまうけど、本当はどんな楽器でも歌でもすべてそうあるべきなんでは。音楽は。ピアノと歌の関係について、ずっと考えていた自然なことを、目の当たりにさせてもらったアルバムだったのかもしれない。

各自が勝手にやっていている、もちろん調和している、全体としてそういう感じが大切なんじゃないのか、と私は思う。演奏しているとき音楽への入り方も出かたも、そんな風にあるべきなんじゃないのかしら。ここに参加しているWayne Shorter というサックスの人も、一体どんなふうになってるのか、全体の中にただ「在る」というだけで。そこだけ聴いていると何をやっているのか私にはよくわからない…、まるでソロをとったり何かのフレーズを作ることなどダサいと思っているみたいだ。居ることだけが大切で、と、そんなような。そうなんだ…どんなふうに音楽を考えているのでしょうこの方は。(恥ずかしながらHerbie HancockもWayne Shorterも知らないので勝手なこと書いてます)

歌があまりにも凄すぎるとき、周り全員が “歌のための伴奏” になってしまうということを時々目撃する…それはしょうがないこととも思う。素晴らしい歌というのがそうさせてしまうのも、なんとなく、わかる。

でも私は音楽では、そういうのより、やっぱりみんなで調和してぐらぐら揺れてるのが好きみたい。そういうのが聴きたいし、そういうふうに音楽をしたい、とも思う。

ピアノと歌なら、(信頼関係のもと)どこまでも歌が自由に、解き放たれてほしい。このアルバムの中では Colinne Bailey Rae の曲の中に、この理想形をみて、本当にどきどきする。いつか私は何かにハンギングされているような、そして空に向かって駆け出していけるような気もちになってくる。

私は全曲知らなかったけど、みんながよく知った曲を使ってアルバムが作られているような気もする。これだけ歌が強いアルバムで、こんな風に音楽ができる歌手が選ばれている。ピアノが存在して素敵に鳴っていて…音楽だけが純粋な水のようにあふれていて。空気が変わるような、冷たい水に足をつけるような、あの感覚にまた浸りたくて、この夏はこの1枚を、ただ聴いている。