ひらたきみこ(ヴォーカル&ギター)
フェアリーヴォイスとも称された柔らかい声と、安定したギタープレイを特徴に、ボサノヴァなどを歌う。
ブラジル音楽に影響されたギターの和声や、ことばの響き(ポルトガル語/日本語)を活かしたオリジナル曲も多数あり、ソングライティングには定評がある。
ギターを高橋信博、作曲をエリオ・セルソの各氏に師事して音楽を始める。1995年頃より度々ブラジルにわたり音楽修行経験を積む。この間、セリア・ヴァス、マウリシオ・カヒーリョなど多くのミュージシャンと交流を持つ。
一方で音楽的には日本のジャズメンの影響を多く受けている。特に渋谷毅、加藤崇之、宮野裕司、松風鉱一、大澤基弘には影響を受けた。
1996年頃始めた自己のユニット“カショーホ・ケンチ(ホットドッグの意)”は息の長い活動を続けているが、現在はソロ活動が多い。弾き語り、デュオ、トリオなど様々な形態でライヴハウス、ジャズハウス、イベント、レストランなどで精力的に演奏している。
’01年初めてのCD『マラクジャ(パッションフルーツ)』を発売して以来、これまでに9枚のフルアルバム(+1枚コンピレーション)を制作。特に3枚目『My João ~デュオ集~』は、各方面で高く評価された。
渋谷毅(piano)との全編デュオ『Luz do sol』は数を重ねて4枚目となり、根強いファンに支えられている。
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上記がオフィシャルなプロフィールですが、
読み物として、下記に記してみます
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<幼少時代> 広島在住
小さい頃は音楽をしていなかった。YAMAHAエレクトーン教室には数年通ったが、講師に「〇〇ちゃんはできるのに、きみこちゃんはどうしてできないの!」と言われ、ビビッて辞めた。涙とともに「もう音楽なんて二度としない」と誓う。ただ、小学生5年生でラジオでボサノヴァみたいな音楽を聴いて、こういうの好き…忘れられない何かに遭遇したことは覚えているが、それ以上は深まらず。日曜の朝は、親の好きなラジオ番組『キューピー・バックグランドミュージック』でムードミュージックを聴いていた。
<思春期> 広島在住
当時、好きなミュージシャンは、イルカだったと思う。ギターは中学生のとき、誰かにもらった古いボロボロのソングブックに載っていた「なごり雪」1曲だけを弾けたのが嬉しかった。あまり音楽に関心がなかった。このころは、油絵を描いていた。
<ボサノヴァとの出遭い> 東京
大学と同時に上京し、勤め人となって職場の先輩にアルバム「GETS/GILBERTO」「GETS AO GOGO」を借りて聴く。少しボサノヴァを聴くようになったが、ASTRAD GILBERTO が好きなんだとすっかり誤解していた。ボサノヴァが好きらしいと認識し始める。誤解にも気づく。なんとなく今日も、今日も、で結局 JOÃO GILBERTO だけを聴く日が数年、続く。
小野リサさんのTV CM「ポレール」で、わっ!と驚く。出会ってしまった気分。その頃、JOÃO の初CD化「Miragre(邦題:海の奇跡)」、新譜「JOÃO 」、リサの「NANÃ」を友達からプレゼントされ、ざわざわしてこりゃ何かしなくちゃいけないと思い(懲りもせずに)YAMAHA 渋谷道玄坂に。フルート教室とギター教室を見学して、なぜかギターに決めた。
ギター教室で講師に「あなたがギター弾くとして、誰がテーマを取るんですか」と聞かれ、「そんな友達はいないので見つかるまで歌ってます」と言ってやむなく(レッスンで)歌い始める。と同時に、それならと、ポルトガル語を習い始め、生涯の師、岡田郁香マリアさんに会う。
<活動を開始した頃>
その後、短い期間の間にも、ポルトガル語合宿や寺下誠ジャズ合宿などで様々な出会いがあり、気づいたら周囲はプロフェッショナルのミュージシャンばかりだった…(現在も一緒に演奏している人も多い)。誰かが仕事を取ってきて「まだでしょ」「いやいや」などと言っているうちに演奏当日が来てしまい、ステージに。たしか日比谷公園のイベントだったと思う。
<だんだんと本気になる>
1995年 初めてブラジルに行く(これは純粋な観光で6週間ぐらい)
1996年頃 千葉章さん、大澤基弘さんに誘われてグループ Cachorro Quente での活動を始める。BAR CORCOVADO でエリオ・セルソに出遭い、作曲を始める。その後、ブラジルに帰ってしまったエリオのレッスンを受けたくて何度か渡伯する
1999年 加藤崇之さんと演奏を始める
2000年 初めてのアルバムを録音(各曲ごとに明確なイメージがあり、アイデア盛込みまくりで録音する)。このころ、ブラジルに2カ月ほど遊学する
2001年 2枚目のアルバムを録音しにリオ・デ・ジャネイロへ(自作曲がほとんどだった)(このころ本気で歌いたいと思い始める)
2002年 初めて渋谷毅さんと演奏する。同じ頃、宮野裕司さんと初めて演奏する
2005年ごろ 松風鉱一さんと演奏を始める
2007年 3枚目のアルバムをセルフプロデュースで制作してみた(デュオ集。ミュージシャンとしての自覚が芽生えてきた)
2009年 4枚目を録音(少し大きめの編成で、杉山茂生さんとディスカッションしながら音作りしてみたかった)
2010年 5枚目、渋谷毅さんとの 「LUZ DO SOL」1枚目を録音(活動のなかで一番多いこのデュオを録音でさらに深めてみたかった)
もっとちゃんと演奏したい、もう少しできるはず、もっとこうしたい、で今日に至る。この続きは、またこんど。