2020年7月26日(日)弾き語り

先日、Joni Mitchell 75歳アニバーサリーLIVEというDVDを購入して、観た。Joni Mitchellその人は、よく知らないんだけど…。(本人は歌っていないDVDだった)

私の知らないたくさんの歌手が出て、彼女を称え、彼女の歌を歌って、中には弾き語りもいた。弾き語り。この不思議な世界。

「弾き語りの人が楽器を置いて歌ったときにはとてもいいんだよ」と、先輩ミュージシャンが言っていた。けれども、私の見たところ、弾き語りの人間から楽器を取って歌ってもらっても、何かとても覚束なくて…。楽器を得て見せる笑顔、やっと水を得た魚というか、「やっと水だ、水、これで息ができる」みたいな、どの人からも一様にそんな不思議な印象を受けてしまう。もちろん、演奏にはどちらもあってもいいんだけれど、どうしても自分にはその印象が拭えない。ほら、ピアノの前に彼女が座った、ちょっと座りなおして、腕が、指が嬉しそうだ…と見えてしまう。

弾き語り、この不思議なものよ。

ピアノでもギターでもなんでもいいけど、歌いまわしというか、楽器の奏でる音とともにそこに何か生まれる自然な感じ。歌だけより自然な感じ。下手とかうまいとかでなく。その人がその楽器とともに長い時間を生きてきた、その親密な感じを受けるからかな…。長い人ほど、カラダに楽器が「嵌っている」という気がする。いやギターだけかな。ギターという楽器は、全く、なんて内向的なんだろうな。悲しいギター。やっぱりギターだよねぇ。

そうだ目指してるトコがあるのだ、たどり着きたいんだ、とはっきり自覚するのは、こうして立て続けにたくさんの弾き語りを見るときだ。弾き語りはみんないい。みんなが自分の歌を歌ってとてもいい。(´~`*) 

そのDVDで、Diana Krall が良かった! 何年か前に観たり聴いたりした時より、ずっとずっとずっとずっと良かった。そうか、これだったのか、彼女の本懐は。レコード会社の意向か、その美貌がアップになったり肩や足を出したりしてるワケわからないアルバムも聴きかじってみてたけど、コレ違うでしょ、という印象の方が強かった。何か白々しいというか。その勘は当たっていた…。生活のための音楽と自分がやるべき音楽とを、ちゃんと分けてるんだ、きっと(当たり前か。何を今更)。じゃ、何とか商業的でないLIVE見つけるしかないじゃん⁉ ソレ、日本に居ちゃ難しい…。

今回出会えてとても良かった。LIVEの弾き語りは素晴らしかった。横でNorah Jones が目を閉じて、心で聴いていた。私も、そこで、いっしょに聴いていた。